スニッカーズ・ミニを3つ一気に食べてしまった
やってしまいました~
買ってくる方が悪いのです。
一日ひとつ、とか無理に決まっているのです。
まあ、おいしかったので良しとします。
糖分を制限しているのですが、なかなか上手くいかないです。
そもそも糖分を摂らないと自分全体のバランスがとれない、というところに問題があります。
真の問題に向き合っていかないといけません。
自分にとって危険なのアイテムの一つに「カレーせん」があります。
よくいくスーパーマーケットでは、しばらく置かれていなかったのですが、先日ふと見たら復活していました・・・
危険です。
最初の一枚は舌にピリッとくるのですが、止まらなくなります。
何か「化学の力」に導かれるように、どんどん口の中に吸い込まれていきます。
スニッカーズと違うのは、いずれ口の中が乾いてストップがかかってくれることでしょう。
しばらくお米を減らさないとな~(以下ループ)
吐く時に縮めないのはとても困難
相変わらず、息を吐く時に自分全体を縮めています。
そんなに簡単には変わらないようです。予想通りです。
ほんのたまに、縮ませずに吐けると、手足の指がジーンと暖かくなります。
正しくないかもしれませんが、今のところそれが指標です。
やはり、寝床の中でやる時に上手くいきやすいです。
上向きにしろ、横向きにしろ、背骨の状態を観察しやすいからです。
油断していると、今度は吸う時に縮めてしまいます。
上手くできていない証拠です。
吐く時に伸ばしてしまっているのですね。
伸ばしたら、後は縮めるしかありません。
かといって、動かないことでもありません。
なので、姿勢を維持しようとすると苦しくなります。
「良い姿勢は疲れる」という名言が生まれてしまう所以です。
たまに前触れもなく、縮めていることを観察してしまうことがあります。何かに似ている、と思っていたのですが、電車がホームに止まって「停車位置を直します」とわずかにバックする時のガクッという感覚を思い出しました。
背骨は電車のように連なっているからでしょうか。
そういえば最近、「停車位置の調整」はなくなったように思います。
きっと、運転士さんたちの技術が上がったのでしょう。
いずれ息をするたびに「イマ0.5mmチヂマセマシタ」とお知らせしてくれるテクノロジーも開発されることを期待しています。
モシュコフスキ:練習曲 Op72-13
モシュコフスキの再チャレンジを始めてから、少しずつ弾いて、遂に本陣ともいえる第13番に攻め入ることにしました。
まず、フラットが7つ付いているところがズッコケるポイントです。
ドはまだしも、ファを半音下げて弾くのはさすがに慣れていません。
シャープ5つと結局は同じ調になるのですが、バッハの平均律第3番のシャープ7つと同じく、譲れないところだったのでしょうか。
そして曲調は、主に6度(ド+ラ)で作られた、ショパンの練習曲作品25の第8番と似ています。
Op.25-8はとても苦手です。
どうしてこんなに速く弾けるのか。
3分の1の速さでも無理です。
モシュコフスキのほうも指が絡まりそうです。
滑らかに弾かなければならないのに、同じ指を2音連続という箇所がけっこうあります。(2+5)→(1+5)のように。
上手い人は関係なく弾いてしまうのでしょうが、コソコソと違う指使いも探求してみましょう。
珍しくこの13番には中間部があって、左手のための練習曲のようになっています。
左手だけで弾く練習曲は、サン=サーンスやスクリャービンが有名でしょうか。
これを弾けるようになれば、ショパンのほうも少しは上達するか、上達のヒントくらいは見つけられるかもしれない、と期待しています。
息を吐くたびに、自分を縮めていた
先日ピアノを弾いていて、自分を押し下げていたのを発見しました。
そして、遂に息を吐くたびに自分全体を縮めていることを突き止めました。
パチパチパチパチ。
急に縮め始めたわけではないでしょうから、たぶん今まで気が付かなかっただけです。
これは大きな進歩です。祝杯です。
バーバラ・コナブルさんが「息を吐く時に、脊椎は長くなる」と書いていたのに、自分がそうしていないとは知らず、納得していました。
わかったつもりが、わかっていませんでした。
やれやれ。でも良いんです。
こうやって進んでいくしかありません。
あまりにも当たり前になりすぎていたのかもしれません。
「スー、ハー」と深呼吸する時に、自分を縮める必要はありません。
しかし、習慣的に縮めてしまいます。
ため息をつくときも同じような感じです。
「ハー、やれやれ」(口癖)
あくびをする時は、もちろん縮めることもできますが、普通は長くなっているように思います。
長くなりながら、あくびをする習慣が付きますように。
あとは、「ウィスパード・アー」でしょうか。
道理で効果があるわけです。
「一日300回『ウィスパード・アー』をしなさい」と言っていた教師がいたと聞いています。
それを聞いた時は、スパルタな先生だな、と思いました。
普通の人は、一日に2万回以上呼吸しています。
そう考えると、それほど大したことではないように思えます。
「ウィスパード・アー」をしてもしなくても、一日300回くらいは気を付けます。
とはいえ、毎日2万回、ほんのわずかでも自分を縮めていたら、やはり年と共に身体は縮むでしょう。
縮むのは仕方がないですが、少なくとも自分では縮めないように工夫していきたいですね。
"アイロンがけ"鍛錬
トレーニングの一環として、週に何回かシャツやズボンのアイロンがけをすることにしました。
以前、"キャベツの千切り"鍛錬にトライしましたが、気が付いたら立ち消えていました。
とても残念ですが、千切りはまだ百切りのままです。
フワッと高く詰めるような千切りには、またそのうちチャレンジするでしょう。
それほど回数をこなしていない、新しいアクティヴィティを探求するのは楽しいです。
加えてアイロンがけは、結果が目に見えるのがよいです。
ピアノや呼吸は気分次第、というところも多々あります。
アイロンがけの一番のポイントは下向きの動作、ということでしょう。
自分全体を下向きにする必要はありません。
そこをどう回避するか。
現状、変にシワができてしまうと「(また)やってしまった」とそれどころではなくなります。
もう一つは片手でアイロンを持っている時の、もう片方の手でシャツを引っ張る動作です。
今のところ、左右でだいぶ違います。
まずはシャツの襟の下の、カーブしている部分を上手くできるようになりたいところです。
あとは袖かな~
時折、クリーニング店に出して、プロの仕上げを見るのも必要かもしれません。
目標は大きく、「形状記憶は甘え」と言えるようになることです!
二重のフリースでプチ"甲冑"体験
同じようなフリースを二枚重ねて着たことはありますか?
先日、夜更けに少しウトウトして目が覚めたら、非常に寒く、とっさにフリースを重ねて着てしまいました。
モコモコです。
腕の動きが少し制限されて、それが逆に全体の動きを効率良くしているように思いました。
不自由な方が効率が良いかもしれない、ということです。
ピアノではたまにあります。
難しい箇所で音を減らすと、かえって難しくなるケースがあります。
一番感じるのは、トリルでしょうか。
たとえば人差し指と中指のトリルの時に、その2本の指だけを素早くトゥルトゥルと動かすより、親指と小指で違う音を押さえたままトリルをしたほうが、きれいな音が出たりします。
普通に考えればトリルだけのほうが上手くいきそうなので、不思議です。
トリルに考えが集中しすぎてしまうからかもしれません。
動きを制限する服、といえば、西洋の甲冑です。
FMアレクサンダーから直接学んだアレクサンダー・テクニーク教師、ルーリー・ウェストフェルトさんの著作には、「行軍用のよろい」の写真が掲載され、
よろいは、自分自身をうまく使いこなせねばならない男のために作られたものである
とコメントされています。
アレクサンダーと私―〈アレクサンダー・テクニーク〉への道 (からだの冒険こころの冒険)
甲冑は重いから動きが鈍くなると思っている人も多いでしょうが、うまく締めるところは締めて、身体が変に動かないように着ると、着ていない時よりも逆に動きが良くなることがあるんですね。
と言っています。
甲冑までいかなくても、フリース二枚重ねでも、十分不自由で動きが変わります。
自分が考えた体幹と腕の関係より、ユニクロさんが考えた体幹と腕の関係の方が優れている、と知るのはチョッピリ悔しいです。
しかし、ピアノを弾いて調子が上がらない時などには、フリースをもう一枚着てみても良いかもしれません。
足の変化について
いささかお恥ずかしい話ですが、両足の親指の付け根にタコがありまして、それが最近は小さくなってきました。
自分としては足の指を踏ん張っているつもりはないのですが、力が入るような立ち方をしていた模様です。
重心が少しカカトのほうに移って、指の負担が減ったのかもしれません。
リラクゼーション・セラピストとして、たくさんの人の足の裏を見てきましたが、こういうタコがある人を見た記憶はありません。
よほど立ち方が下手だったのでしょう。
とはいえ、まだ完全になくなったわけではないので、改善できる余地はありそうです。
それに加えて、今まで右足の方が左足より大きかったのですが、いつの間にか、左足より右足の方が小さくなっていました。
特にそれで何かが変わるわけではありませんが、結構驚きました。
いつも履くたびに靴のヒモを結んでいるので、もう少し早く気づいても良さそうなものです。
8割の人は左足の方が大きい、というデータがあるそうです。
靴屋で片足しか展示していないケースは、たいてい左足が出ています。
今までわざわざ右足の方を出してもらっていました。
もしかしたら、ここのところ立っている時間が短くなったから、というだけかもしれませんが。