鏡の中のスメアゴル
スメアゴルをご存じですか?
映画「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに出てくる、少し気持ちの悪い生き物です。
大抵は悪役でも憎まれ役でも、コアなファンがいるらしいですが、スメアゴルだけはそういうファンも少ない、と聞いたことがあります。
誰からも嫌われる、正真正銘の悪役です。
そのスメアゴルなのですが、なぜか風呂場の鏡の中にいたんです。
いやあ、びっくりしましたよ。
あの誰からも愛されないスメアゴルが風呂の鏡の中にいるなんて、思いもしませんでした・・・
スミマセン、それ私でした・・・
間違えちゃった・・・
冷静に考えて、やせているし、髪の毛はないし、共通点はあります。
似てはいないことを祈りますが、きっとその表情にスメアゴルを見たのだと思います。
実は曇りがちな鏡を専用のクリーナーでゴシゴシ拭いていたのです。
なかなかきれいにならない鏡を磨く手についつい力が入って、スメアゴルの表情になってしまったのでしょう。
外見がスメアゴルに似ている、と言われるのは、もちろん喜ばしいことではありませんが、まああり得るところです。
人によってどう見るか、というのは違いますからね。
以前、映画「宇宙人ポール」の主人公ポールが私にそっくり、と言って、私のことをポールと呼んでいる人がいました。
まあ、似ていなくもないです。
有名なスメアゴルさんに似ているのはまあ良しとしましょう。
問題は、知らないうちにあの独特なスメアゴルの表情になってしまっているかもしれない、ということです。
ピアノに向かっている時もきっとそうなっているでしょう。
その他、携帯電話の小さい文字を見ている時や、台所に立っている時もかなり可能性が高いです。
何かうまくいっていない時にスメアゴルの必死な表情になっていないか、まず立ち止まって観察していきます。
まあ、似た者同士で仲良くやっていきますよ。
スメアゴル「YASUO、愛しいシト」
・・・やっぱり、止めておきます。
非常に胴体の長いアメフト選手
以前ある女性が「胴体が長く見えるから嫌だ」と話していたのを聞いたことがあります。
アレクサンダー・テクニークの話をしている時だったでしょうか。
そんなものですかね。
私なら今「胴体が長いね」と言われたら、身体全体を長く使えてると勝手に解釈して、丸2日くらいは上機嫌で過ごせると思います。
そんな数少ない胴長ファンならほれぼれと見てしまうのが、クリスティアン・マキャフリー選手(Christian McCaffrey、略してCMC)です。
米国プロ・アメリカン・フットボール、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズに所属しており、ポジションはランニングバックです。
Christian McCaffrey Top Plays of the 2022 Season - YouTube
以前も紹介したアルヴィン・カマーラ選手と同じポジションです。
渡されたボールを敵陣に運ぶお仕事です。
もちろん、年俸約16ミリオン・ドル(1ドル130円として20.8億円)を稼ぐからには190cm、100kgの大男たちが全力で止めに来るのをかいくぐらなければなりません。
ずば抜けた身体能力の持ち主ばかりで、当然ながら身体全体を長く使っている人ばかりの中に入ってもCMCの胴体の長さは目につきます。
少し骨盤を前傾させているような気もしますが、その分お腹を長く使えているように感じます。
動画では脚を掴まれても、すり抜けていくシーンは随所に見られます。
骨盤を取り巻く筋肉がとてもゆったりしていて、それが腰に腕を巻かれても振りほどける要因になっているかもしれません。
筋肉の量は多いでしょうが、立っている時は腹筋がユルユルに見えます。
いつでもコチコチの私とは正反対です。
でも、もし自分がCMCのようになっても
「脚、短いね」
と言われてしまうんだろうなあ。
元々、長くはないのですが。
甥に本性を見抜かれました・・・
九九の掛け算の「八の段」で苦戦していた甥が、かなり前に撮った家族写真を見て、私を指差し、
「この人には裏の顔がある」と一言。
ゾクゾク・・・
心当たりがないわけではないので、かなり動揺しました。
しかし、気を取り直して紙と鉛筆を渡し、両方の顔を描いてもらうことにしました。
少しためらっていましたが、出来上がったのがこちらです。
これが見た通りの私の顔。
こちらが”裏の”顔です!
確かにこちらの顔の方が自分の本性を表しているかもしれません・・・
赤ん坊の頃はそこにないものが見えるらしい、とは聞いたことがありますが、小学生になって見えるというのは凄いことなのではないでしょうか。
もしかして霊能力者?アリソン・デュボワ?
イヤイヤ、甥を使って一儲けしようなどとはもちろん考えてはいませんよ!
これで老後も安泰だ、などとは全然考えていません。
本当です!信じてください!
ビジネス化はともかく・・・
実は私もなぜか下の甥には、会うたびに「見た目に惑わされてはいけないよ」と言っているような気がします。
どういうわけか、そういうシチュエーションになるのです。
甥もそういう変なことを言う叔父を喜ばせようと思って、そんなことを言ったのかもしれません。
頭いいね!
他の年の家族写真もあったので、「最近の私はどうか?」とか「他の家族はどうか?」などとも聞きたかったのですが、控えました。
彼が必要だと思ったら言うでしょう。
私自身は「目に見えるもの、触れるものは全て幻」という考えもあながち間違いではなさそうだ、と思っていますが、実際にそこに存在せず、自分が見たくもないものが見えてしまう、という状況は、あまり喜ばしいものではなさそうです。
とりあえず今は八の段の暗記をがんばってくれ!
あまり使わないと思うけど・・・
2023”年度”の抱負
年でなく”年度”にすれば、今はそれほど違和感がない季節だ、と気づきました。
・引っ越し
今年は恐らく秋ごろに引っ越しをしなければならず、そうするとせっかく弾き始めたアコースティック・ピアノともお別れとなる予定です。
残念です。
・Youtube開始
2023年は新たにYoutubeに動画を投稿し始めよう、と思っています。
手始めに新たな企画として、作詞・ヴォーカル担当のタクミさんとユニットのデモ音源をアップする予定です。
タクミさんはミスター・チルドレンが好きで、私も研究して気に入ってもらえるような楽曲を作っていきたいです。
どうなるかな~。
センスが昭和世代なのは仕方がないですが、一所懸命作ります。
その他には、バレエの有名なヴァリエーションをピアノで簡単に弾けるよう、自分で編曲した楽譜があるので、演奏して投稿していければと思っています。
・クラシック・ピアノ
Youtubeに動画を投稿し始めると、そのための準備に時間が取られていくことが予想されます。
理想はバロック・古典・ロマン派・近代とバランスよく弾いていくことですが、難しくなるでしょう。
バッハとショパンばかりになりそう・・・
アップライト・ピアノが弾ける間は、自分全体を観察しながら、より自然で響きの良い音が出るように、アレクサンダー・テクニークを使っていきたいです。
・アレクサンダー・テクニーク
より良くコーディネートされた人生を送るために、引き続き頭と脊椎の関係について考えていきます。
ほんの小さな発見やわずかな変化を楽しみ、感謝して受け入れることができますように。
今年も今年度もがんばっていきましょう!
2022年のまとめ
2023年4月の今、非常に旬な話題です。
・日常的にアップライト・ピアノを弾いた
うれしくて色々な曲を弾きました。
電子ピアノと比べると、反応が帰ってくるのがよいです。
反面、楽器を鳴らせていない、と感じる時間が長かったです。
上達はしたのでしょうか?
自分ではよくわからないですが、よく言われるように、山登りで2合目から3合目まで確かに登ったけど、下を見ると景色はあまり変わらない、というところかもしれません。
モーツァルトのピアノ協奏曲はほそぼそと続けています。
生ピアノで弾くと、特にモーツァルトは曲が必要とする音を出せていないな、と感じます。
・“Hacking the Law of Attraction / Richard Gordon”
2022年に最も影響を受けた書籍の1つです。
日本語だと「引き寄せの法則のコツ」といったところでしょうか。
詳細は省きますが、未来を手繰り寄せるには、過去を清算する必要がある、という考えのもと、未来と過去に対するアプローチが書かれています。
短期間のうちに自分一人で過去を清算できた、とは思えませんが、過去と向き合うことの大切さとその手段を得たことは非常に大きかったです。
これからも折に触れて読み、実践していきたいです。
本の主な内容はこの動画でだいたいは語られています。
一所懸命おすすめすればするほど`敬遠されてしまいそうなところが、アレクサンダー・テクニークと似ている気がします。
こんなところかな。
何だか私にとって2022年は薄い年だったようですね。
アドバイスはしないつもりだったが・・・
甥とバスケットボールをして、やる前からアドバイスはしない、と決めていたつもりですしたが、何だかんだ、やっぱりしてしまいました。
特にバスケットボールが得意というわけではありませんし、人間性の問題か、私がアドバイスをするとどうしても現状を否定するニュアンスになってしまいがちになるからです。
アレクサンダー・テクニークの教師のように、別の考えを提案して選択をする余地を与えたかったですが、難しかったです。
形だけは真似してみるのですが、実際は結構自分の考えを押し付けていました。
それほど抵抗はなさそうでしたが、どうだったでしょうか。
振り返ってこのブログはどうでしょう?
少しでも押し付けがましくなく書くテクニックを向上させたいところです。
一年間、ピアノを弾いて
幸運にもアップライト・ピアノを弾ける環境になり、文章を書く時間を一年間、そっくりピアノを弾くことに充てました。
40才をだいぶ過ぎてから独学で再開し、数年のブランクがありつつ、よくもまあここまで続いています。
もちろん弾いていて時々「私は一体何をやっているのだろう?」と思うこともあります。
何のために?
きっといつかわかるでしょう。
ともかく、一年間終わった感想としては
・おっさんにしてはまあまあかな?
と
・そんなに弾いてこの程度?
の半々というところでしょうか。
冷静に考えれば、身体は毎日、いや厳密には毎秒衰えている中で、より譜面を速く読み、より指を動かせるのようになるのは難しいことです。
上積みがないとなると、よい方向に変化させるには、現状で思い通りに弾けなくしている要因を取り除いていくことしかできない、ということになります。
過剰に指に力が入っている、とか、背中を縮めて腕を動かしにくくしている、など思いつく箇所はいくつもあります。
そしてそれは、実際にピアノを弾いていない時もやっていることでしょう。
ピアノを弾くことにより、やってしまっていることに気付き、それを一つずつ止めていくこと。
簡単ではないですが、それが重要なのかもしれません。
ピアノを弾いているおかげで、弾いていない時の緊張や全体を押し潰すことにも気づいていければ、と思っています。