1月と2月のピアノ - 経過と展望
記事は書いていませんが、ピアノは弾いております。
2020年12月から始めた『モーツァルト・協奏曲シリーズ』は、いよいよ最初の第21番が3楽章とも終了いたしました。
パチパチ!
仕上がりに関しては、いつものようにノーコメントです。
ともかく、これ以上続けても、飽きて曲が嫌いになってしまうだけだろう、という予感はあります。
気を取り直して、3月から2曲目の第23番を始める予定です。
名曲です。
美しいです。
ホロヴィッツが弾いていて、とても親近感があります。
あまりに親近感があり過ぎるので、最近入手した第26番「戴冠式」を先に始めるのも選択肢としてあります。
「戴冠式」という名前がある割には、今まであまりなじみがありませんでした。
他には先日初めて弾いた、バッハのトッカータBWV.913です。
思ったより弾けたのでうれしかったです。
この作品には当時のオルガン音楽の常套句があふれかえっており
とあったので、早速オルガンの音色で弾いてみると・・・
楽しーい!
生ピアノでは味わえない、電子ピアノのこの楽しさ!(負け惜しみ)
あと、大きな声では言えませんが、ショパン:幻想曲の楽譜を衝動買いしてしまいました…
これでメインの曲の楽譜は全部揃ったと思います。
ええ、揃えただけです。
少しずつやっていきます。
右の外側のくるぶしだけが靴に当たる現象
長時間歩くのに、件の靴ずれができてしまった重い靴(片足推定500g)は厳しかったです。
そのため、新たに靴を購入しました。
しばらくは調子が良かったのですが、突然右足の外側のくるぶしが靴のふちに当たって痛くなりました。
面白いのは、午前中は何ともなかったのに、一度脱いで午後にもう一度履いた時にいきなり当たるようになった、というところです。
身体が突如としてゆがんでしまったのでしょうか・・・
何かしてしまったのか・・・
私の場合は午後になると足が小さくなる、という特殊な要因があります。
普通は「靴は夕方に買え」と言われるように、だんだん大きくなるものでしょう。
はっきりした原因はわかりませんが、午後になって足が小さくなって、くるぶしが靴に当たるようになった、というのも要因の一つでしょう。
骨盤の右側がゆるんで右脚全体が長くなり、左側とバランスが悪くなった、とも考えられます。
相当、楽観的ですが。
靴ずれの時もそうでしたが、片側だけ痛む、というのは全体に大きな影響があります。
反対側の左脚のふとももの前が少し筋肉痛です。
左右アンバランスな老人になっていく過程が見えてきました。
ちょうどいただいたインソールがあったので、現在は少し良くなっています。
歩く、というアクティヴィティを見直す機会にもなると思います。
バッハのトッカータ BWV.913が最後まで弾けた
バッハの最難関としていままでためらっていた、トッカータ集の楽譜を久々に取り出しました。
驚いたことに、最初に収録されていたニ短調 BWV.913を最後まで弾き通すことができました。
ブラヴォー!
www.youtube.com
挟まっていたレシートによると、古本として購入したのは2012年です。
全7曲のうち、ニ長調BWV.912だけレッスンに使われたようで、書き込みが多数あり、そのおかげで安価で手に入れることができました。
しかし、BWV.912だけレッスンを受ける、というのはどうなのでしょうか。
先生はきっと狙いがあって912を選んだに違いありません。
しかし、自分だったら、「911か、もしくは910をやりたい!」と駄々をこねていたことでしょう。
「もう、来なくていい」と言われそうです。
BWV.911には言わずと知れた、アルゲリッチさんの名録音があります。
これを弾きたいがために譜面を入手したのですが、予想通り当時は挫折しました。
フーガが始まって(動画では4分15秒くらい)、もう2ページ目から指がからまってしまいそうな難しさでした。
トホホ・・・
練習すればどうにかなる、というレベルではなかったことは確かです。
以来、時期を待っていましたが、ようやくその時が来たようです。
恐らく、BWV.913はBWV.911に比べて、だいぶ弾きやすいのでしょう。
それでも大きな一歩には変わりません。
いつも大変参考にさせていただいているピティナのサイトによると、構成としては、2つの「プレリュードとフーガ」が繋がっていて、最後にコーダがある、という感じでしょうか。
手始めに、後半部分だけでも少しずつ弾いていこうと思っています。
触ることについて
以前は他人の身体に触ることを職業としていて、タッチ・ヒーリングの講習も受けたりしていました。
もちろん、触ることに関して自分なりに追及はしていたのですが、最近になって触るということがより変わってきた、という印象があります。
皮肉なものです。
一年前に比べて、身体全体が変わってきて、手から入ってくる情報が多くなった気がします。
感覚が鋭敏になった、というより、他で使っていたリソースが手の感覚に回ってきた、というのが独自の推測です。
違うか・・・
とはいえ、条件が変われば、過程→結果もおのずと変わってきます。
できれば触る直前に、一瞬の間が欲しいです。
理想を言えば、触るという行為を始める前、なのでしょうか。
今のところは妥協して、既に触っていても、改めて「触っていると認識する、でOK」としましょう。
ふと思ったのですが、、最近手を洗ったり、消毒したりする機会が増えたことが、手の感覚に変化をもたらしているのでは?
そう言うと、以前はあまり手を洗っていなかった、ということになってしまうか・・・
「つま先の上に乗る」というプロシージャ
"プロシージャ"というのは、アレクサンダー・テクニークのレッスンで用いられる一連の手順のことです。
「モンキー」とか「椅子の背に手を置く」などが有名なところでしょうか。
FMアレクサンダーに指導を受けた、いわゆる第一世代の教師たちの本は好んで読んでいますが、この「つま先の上に乗る」というプロシージャについて書かれているのは、知っている限りではマージョリー・バーロウさんの著作のみだと思います。
簡単に言えば、つま先立ちになる、ということでしょう。
ただ、アレクサンダー・テクニークですから、その過程が大切です。
教師がソフトに前に押して、それに対して抵抗すると自然と身体全体が上に行く、という手順のようです。
こちらのページにウォルター・キャリントンさんが指導している画像がありました。
Going up on Toes | Mouritz ORG
パーキンソン病の人にレッスンしている動画もありました。
www.youtube.com
普通につま先立ちしただけで、背中が変わるような気がします。
でも、こっそりやれるのは、エスカレーターに乗っている時くらいかな~
細かく言えば、歩く時一歩ずつやっているはず、ということなのでしょうが。
我流でもこれだけ変わるのなら、レッスンで受けてみたくなります。
自分の音を聴く大切さを学ぶ
新たにバジル・クリッツァーさんのピアニストとのレッスン動画シリーズが始まっていました。
後半23分過ぎになって、響きが変わったことについて、生徒さんに聞いていました。
バジルさん「ピアニストって、あんまり気にしないものなんですかね?」
・・・やばい・・・
慌てて巻き戻して、聴き直してしまった・・・
いや、ほら、背中だけしか映っていないから、ついつい集中がおろそかになっていまして・・・
告白すると、響きが変わったのはよくわかりませんでした・・・
しかも、もう一度再生して、少しわかったくらいです・・・
まあ、仕方がないです。
管楽器や弦楽器のように、あまり音を聴く必要がないからかもしれません。
あとは、譜面通り指を動かすだけで精一杯、というのもあります。
では、どうやったら自分の音・響きをよく聴けるようになるのか?
ゆっくり弾く、くらいしか思いつかないです・・・
いつもゆっくり弾いているのですが・・・
ちなみに弾かれているのは、ブラームスの6つの小品 Op.118から第1番と第2番の間奏曲ですね。
美しいです。
楽譜「ほんとにはじめてのピアノ」を購入
ピアノのビギナー応援企画の一環として、どうやって簡単なアレンジを作るのかを研究するために買ってみました。
数ある「はじめてのピアノ」の中でこの本を選んだ理由は、一番音符が大きかったからです!
意外に重要だと思います。
曲目は「最新&定番J-POP」ということで大丈夫でしょう。
パラッと見た感じでは「世界に一つだけの花」くらいしか知りませんが・・・
この本の特徴は、表紙に書いてある通りでした。
- 左手は単音
- 最初のポジションを図解
- すべての音に音名(ドレミ)と指番号(1~5)付き
まさに至れり尽くせりでしょう。
最初に編曲した「いつの日にか二人で」では、指番号は要所にしか記入しませんでした。
確かに、今でこそ「指図は受けません!」と勝手に弾いていますが、最初のころは律義に書かれた通り弾いていたような気がします。
そして、全ての曲がハ長調(イ短調)という調号がない調に移されています。
そのため、弾き語りではないとはいえ、曲によってはメロディが非常に高い音域になっています。
やはり黒鍵は一つの大きなハードルの一つかもしれません。
慣れだとは思うのですが。
今でこそ「♯と♭は最低、4つはないと弾きにくい」などと偉そうなことを言っていますが、ショパンやバッハの平均律は最初は苦労しました。
そしてビギナーにとって最大の難所は、やはり左右で違うことをすること、のようです。
原曲を聴いたりして、左手のアレンジの仕方などを学んでいきたいと思います。