モーツァルトの管弦楽をピアノで弾くのは極めて難しい
12月からモーツァルトのピアノ協奏曲第21番を初めて弾いています。
シナリオとしては、夏に少し無理めなベートーヴェンの協奏曲第4番にチャレンジしておいてよかったね、という予定でした。
ところが開けてびっくり、モーツァルトは別物でした。
現在のところ、ピアノが出てくる前の前奏でつまづいています。
ピアノの部分も難しいです。
しかし弾けなくても、問題は主にピアノの技術のような気がします。
管弦楽部分をピアノで弾くのは、ピアノとは別に音楽的なセンスが必要とされるのと思います。
特にモーツァルトは格別です。
以前、交響曲も少しだけ弾いたことがあります。
ほとんどの曲でピアノ独奏版がありますが、どう言ったらよいのか、とにかく手に負えない、という感じでした。
管弦楽作品を1,000ピースのジグソーパズルだとします。
普通の作曲家は、ピアノ用に編曲すると、そのうち400ピースしか埋まりません。
しかし、全体像はおぼろげにわかります。
ところがモーツァルトになると、200とか300ピースくらいしか埋まらないような気分になります。
全体像は聴いている人の想像力次第、という感じです。
時間を掛ければ何とかなりそう、というのではないのが辛いところです。
でもやっていくしかないでしょう。
事態が少しでも変わったらまた書きたいです。
その時は愚痴でなく、少しでも好転していることを望みます。
チャイコフスキー『スラヴ行進曲』を知らない人はいない
チャイコフスキーの10分弱ほどの管弦楽のための小品である、スラヴ行進曲。
もともと名曲ですが、現在日本で知らない人はいないでしょう。
え?聞いたことがない?
曲の名前は知らないかもしれません。
しかし、部分的に耳にしたことがあるはずです。
このCMです。
Youtubeで何か見ようとすると、かなりの高確率でかかります。
調べてみたら、2020年2月くらいからテレビでも流れていたそうです。
ついに日本でもChromebookに本腰か。日本版CMをGoogleが公開、地上波放映も - Engadget 日本版
音源は違いそうですが、全曲はこちら。
チャイコフスキー - スラヴ行進曲 Op.31 カラヤン ベルリンフィル
CMで使われている部分は、こちらの動画では4分くらいからです。
メインのテーマではなく、副主題のような感じです。
テーマとの対比が美しいです。
個人的にこの曲で一番好きな個所は、動画では2分くらいからの、ザッザッザッザッと遠くから行進が近づいてくるように盛り上がってからの大音響でのテーマが鳴り響くところです。
CMでは使ってくれなくて残念です。
Youtubeさん、もうスラヴ行進曲はたっぷり聞いたので、スミマセンが違うCMをお願いします。
ドン・ウィード“変わりたくない人もいる”
アレクサンダー・テクニーク教師のドン・ウィードさんが"What You Think Is What You Get"の中で、こういっています。
Sometimes people don't want to change.
Donald L. Weed "What you think is what you get" Chapter 1
ドンさんのレッスンがとてもためになったという女性が、ボーイフレンドを連れてきてレッスンを受けさせた、というお話。
その男性が後日ドンさんに出会い、いつものように感謝されるのかと思ったら、「前の自分の方がよかった」と怒られた、と意外な展開となりました。
一見、どんどん変化が起こったようで、うらやましいです。
少なくとも自分の知覚できる範囲においては、もっと早く変化が起こらないかな、と思っているので。
1回のレッスンで、怒られるほど変えられるものですか・・・
ひょっとしてドンさん、自慢ですか?
それはともかく・・・
単なる笑い話としても面白いですが、深い内容も含んでいるように思いました。
それは、自分のことでも自分ではコントロールできないことがある、ということです。
変化が始まってしまうと、止められないのです。
件のボーイフレンドさんは、きっと変化する必要があったのでしょう。
ドンさんはその手助けをしたまでです。
自分ももっと若ければ変化のスピードがもっと速かったかもなあ、と思わないではないです。
しかし、こればかりは自分のペースで進んでいくしかありません。
もしかしたら、考えのどこかで「変わりたくない」という部分があるのかもしれません。
そうだとしても、気付くべき時に気付くでしょう。
今はゆっくりとした変化を楽しみます。
背中のチャックがまた下がった
バスケットボールのフリースローに、ロールダウン&アップと腕の回旋の要素を取り入れようと試行錯誤していたら、また背中がムクムクとなりました。
最初は背中の奥深くで眠っていた筋肉が動き出したのかな、と思いましたが、どうやら前にムクムクとなっていた部分の少し下あたりのようです。
また背中がほんの少し広くなったかもしれません。
うれしいです。
ポイントは、背中が長いと同時に背中が広いが考えられたことではないかと推測しています。
ただ背中が広い、と考えるだけではあまり変わらなかったでしょう。
次の段階には、いろいろな要素が重なり合って進んでいくようです。
着ぐるみのチャックがまた少し下がった感じです。
骨盤まで到達したら、さなぎから蝶になるように変身するかもしれません。
正しくは変態、でしょうか。
変態というと誤解を招くかもしれないので、進化が良いでしょう。
ポケモンの進化です。
あの進化も、正しくは変態と言われています。
まあこれ以上、変態を連発するのは止めておきます。
さて、ピアノはどう変わったでしょうか。
ワクワクして弾いてみました。
当たり前ですが、ほとんど変わらないです。
しかし、わずかに音にまとまりが出た気がします。
低音が大きくても、それほど邪魔にならない感じもしました。
そして、常に背中を縮ませようとする圧力がよりわかるようになりました。
背中には巨大なバネが仕込まれているかのようです。
少しでも油断するとビーンと縮みます。
こんなに縮んでいたとは・・・
そりゃ、弾けないです。
少し弾いたら、ひどく疲れました。ふぅ・・・
しばらくは調整期間になりそうです。
メガネを新調するタイミングは?
非常に視力が悪くて、最近は老眼も進んでいるようで、メガネが合わなくなっております。
運転免許の更新した際も、「必ずメガネを新しくしてください」ときつーく言われました。
しかし、基本的に運転はしないので、先延ばしになっています。
普段パソコンや読書などでは問題ありません。
一番気になるのは、少し離れた場所にあるテレビで将棋中継を見る時です。
駒が「金将」なのか「銀将」なのか、とか成桂なのか成香なのか、よくわかりません。
大したことはない、と言えば大したことはないです。
困るのは、日によってかなり見え方が違うことです。
良くなったかも、という日もあれば、遠くも近くもいつもより見えない、という日もあります。
近視が改善されたかも、と思いつつ、老眼が進行しているだけかもしれません。
では、メガネを作るのは、果たして調子が良い日がよいのか、悪い日が良いのか?
とはいえ、変化があるのは良いことだと捉えています。
アレクサンダー・テクニークは視覚野に近いところに働きかけるからでしょう。
見る、ということも少しずつ変わっていけるようにしたいです。
起きている時間はずっと何かを見ているので、考えようによっては一日中トレーニングできます。
老眼というのは果たして、どれだけ進むものなのか、それがどのくらいのペースか読めないのがネックです。
ちなみに老眼鏡は英語で"reading glasses"というのだそうです。
年寄り感がないのが良いです。
2021年に向けて Vol.6~ブログの英語版
できたらいいな、という来年の夢、というか妄想を書き綴っているシリーズ。
早くも第6弾。
言ってみるのはタダ!ということで書いていますが、既に来年の今頃に反省文を書いている姿が目に浮かんでいます。
ネタになるという意味では、それはそれで良いかもしれません。
自分の話を世界の人に聞いてもらいたい、という野望ではなく、単純に英語のスキルを上げたい、というのが一番です。
以前に自分のドメインを取得して、ホームページのようなものを作りたい、と思ったのも、その方が連動しやすいかもしれない、と考えたのが一番の要因です。
今は英語ネイティブの方と接することはないので、現状ではそれほど困っていません。
英語のスポーツ関連サイトや掲示板を読めるところだけ読むだけです。
ただ圧倒的に読むスピードが遅いです。
実際はほんの少しずつ速くはなっていると思いますが、より進歩するには困ることも大切でしょう。
英語で書くことにより、より英語的な思考方法ができるようになって、読むのも早くなるはず、というのが独自理論です。
関係なかった、という結論になる可能性もあります。
本当は、いつも理由は後付けで、何となくやってみたい、やった方が良さそうな気がする、という導かれる感じがあるだけです。
最初は日本語の文の後、英語でチョコチョコっと要約を書いてみようかな、と思っています。
副作用として、日本語力を向上させる効果も期待しています。
「英語に訳せないような日本語書くんじゃない!」と翻訳担当の自分が突っ込んでくれるでしょう。
その際は、お手柔らかに願います。
80歳を過ぎて"I'm always happy"と言うためにはどうすべきか?
FMアレクサンダーが80歳を過ぎて、姪でもあるアレクサンダー・テクニークの教師のマージョリー・バーロウに語ったという言葉。
"You know dear, I'm always happy"
(Alexander Technique: the Ground Rules: Marjory Barlow in Conversation with Sean Careyより)
この言葉が頭の中をずっと響いています。
どうすべきか?
恐らく答えは1つでしょう。
今、I'm always happy.と言うこと。
きっと、これしかないです。
「今は50%くらい幸せだけど、何十年後かに100%幸せになるように少しずつ努力します」などと言っていると、それだと何十年後かもやっぱり50%くらいの幸せとなるでしょう。
ピアノの技術のように「幸せのハノン」の次は「幸せのバイエル」「幸せのソナタ・アルバム」と進めれば良いのですが。
では、今「いつも幸せですか?」と自分に問うと、どうでしょう。
実際、文句と不安ばかりです・・・
お釈迦様は「一呼吸ごとに、生き死にを感じなさい」というようなことを言ったそうです。
実にアレクサンダー・テクニーク的です。
(時系列的には逆ですが)
要するに、幸せになるためにアレクサンダー・テクニークを使っていこう、ということです。
何が言いたいのか、わからない?
ええ、自分でもわかっていません。